昨日はリライトの授業。
  筆ペンと和紙便箋、和紙葉書を使って、夏目漱石の書簡をリライトしている。
  昨日は門下生たちに送った手紙だった。
  彼らの中で気になって仕方がない存在、鈴木三重吉。
  どうも自分とダブってしまう。
  ことあるごとに引きこもり、実家の広島へ帰ってしまう。
  神経が細かいんだな。
  話を聞くたびに三重吉がなんだか好きになる。
  漱石先生も気になって気になって、可愛くて可愛くてしょうがない様子。
  ほったらかしにしてもおかしくないのに、かまっちゃう。
  母性本能?をくすぐるキャラだったんだろうか。
  それとも、何気に人に好かれるキャラだったのか。
  童話作家になったくらいだから、穏やかな人だったのかもしれない。
  悪く言えば「女々しい」だろうけど。
  なんだか嫌いにはなれない、ほっとけない雰囲気があったんだろうなぁ。
昨日は卒業する頃、漱石先生が三重吉に贈った言葉がプレゼンにあった。
「君はあまり感じ(感受性)が強過ぎるのでその鋭敏な感じに耽(ふけ)りすぎた結果今日にいたったのであろう。――なるべく方面の違った人間と話したりまるで趣味の違った書物を読んだり。もしくは人と喧嘩をしたり。あるいは借金をして放蕩をしてみたり、あるいは人に手紙を出して鬱気を漏らすがいいと思う。――君弱いことをいってはいけない。僕も弱い男だが弱いなりに死ぬまでやるのである」
う〜ん。自分に言われているみたい。
  最近は新しい出会いが欲しくて仕方がないし、外に出て行きたい!って思うようになっている。
    友達とも会いたいし、色んな話をしたい。
    ワクワクして楽しみで、こんなのいつぶりなんだろうかってくらいウキウキしている。
    だいぶ春めいてきているしね。
  自ら足を動かさないで、何が起こるというのか。
  今まで内側をよーく見てきた分、ずーっとこもっていたけれど、これからは外に向かって足を伸ばしてみようと思う。
晩年の三重吉はとっても穏やかな笑顔で、スッキリした表情をしていた。
    私はピンチの時には必ず良い出会いがある、出会いに恵まれている人間。
    もしかしたら、三重吉もそうだったのかも。
  あの笑顔になれたのは、漱石先生との出会いを通過してきたからなのかもしれない。
私も良くも悪くも今は“素”。
    良い子を演じていた自分が嫌いだったけど、今は素でいられるから気持ちが良い。
    私だって三重吉に負けないくらいのキラキラを最期を迎えるまで放ってやるんだ。
  これから何が起こるのか、目を凝らしていようと思う。